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| 平成19年01月24日(水) 献 辞 御身みずからは、進化の螺旋のすでに高き段階にありながら、常に真理と自由といや高き意識と悟りの界層を示し給いつつ、辛抱強くも地上の人類を助け給うかの大いなる方々、われらの先達に愛をこめ、この書を献げまいらせる。 編 者 註 ベアード・T・スポールディング氏は、人類と地球の進化を助け、その運命を導きつつある大師たる先達が沢山実存することを、西欧の世界に紹介する上で極めて重大な役割を演じられた。 真理の講釈と教授との任に当たっておられる数多くの方々が、本書に伝えられている知識を世界の隅々まで周く知らせるために、本書(原著名『極東における大師方の生活と教え』)を過去二十五年にわたって、使用してこられた。 偉大なる先達がたは、人類を教育して生命の大法則を知らせ、それに注意を向けさせるために、本書の成冊出版という方法を用いられたのである。 それは又、すでにイエスの言われた「わたしの為す事どもをあなたがたも為すであろう、しかもより大いなる事どもを為すであろう」とのみ教えに沿うためでもある。 ベアード・T・スポールディングその伝記的素描 死後も寄せられる感激の手紙 本叢書の読者がそうであるように、或る人物やその業績について多くの人々が火のような関心を持つ場合、そこには必ず何かの霊的真理が閃き伴っているものと確信してよい。二十世紀の前半において、すでにその名前は形而上学や真理の研究界における伝説となっていたベアード・T・スポールディング氏ほど、前記の関心を一般に喚び起こした人は、けだし近代においては稀である。 又、スポールディング氏ほど世界にそそがれている霊的インスピレーションの炎を感得した者も亦、稀というべきであろう。彼の人と成り、彼の福音の提示の仕方、そして福音そのもの――これらすべてが、彼の福音の真実性と彼の徳義と誠実との生ける証拠となっている。毎年、世界各地から氏に送られてくる無数の手紙は、氏の著書に盛られている福音が人々にとって巨大な援けとなっていることを証明している。 しかもこのような手紙は、氏がより高き教室(即ち、高級霊界)に移行してから二年たった今日、猶陸続として送られつつあるのである。ベアード・T・スポールディング氏は一九五三年三月十八日アリゾナ州テンプで齢九十三を以て、ヴェールの彼方に身まかった。氏は最後までその本職である採鉱事業に従事していたのである。 多年氏と親交のあったダグラス・K・デヴォース氏(1)は、恐らくはスポールディング氏をよく知る者の一人であろう。以下、一九五三年三月二十二日、アリゾナ州テンプでの追悼式で、ダグラス氏の述べた挨拶の一部を引用しよう。 「スポールディングさんは非常に物静かで、謙遜な世話好きな方でした。私は氏を人々に御紹介する場合氏の人となりやその偉大なる業績を殊更に相手に吹聴することなど、どんな場合でもしたことはありません。一九三五年以来、わたしは氏とともに北アメリカの二百ヶ所以上の都市を旅行する得難い機会にめぐまれました。 その間、たいていは一日二十四時間にもわたって、極めて密接に氏と接触して暮らしたのですが、正直に申しますと、どんな人またはどんなグループでも、かくのごとき多様な活動を多様な方法で行っている偉大な魂の持ち主を、真に理解することは出来なかろうと思います。 私はこうして色々個人的なお話をする訳ですが、それは何も誇り顔でするのではなく、謙遜な気持ちでするのであることを皆さんは御理解をして下さっておられると思います。何故なら、氏はわたくしどもの友人であるだけではなく、わたくしどもの中の多数にとっては、父のごとき存在でもあったからです。 わたしの知る限り、世界のどの町でも、大きな町だろうと小さい町だろうと、スポールディングさんが、ズカズカと入り、勝手に坐って食事の出来ない家庭は一ヶ所もありませんでした。そういう訳で、氏は何時でも歓迎されたものでした。過去二十五年の間、氏はいわゆる渡り鳥によく似た生活をしておられました。 すでに一切の物質的なものには大して関心を持たない悟りの境地に達しておられ、その個人としての所得は私にも、又皆さんにもいくらあるのか長い間分かりませんでしたが、何れにせよ御逝去の時は決して金持ではありませんでした。その物質的所得は成る程僅少ではありましたが、イエスのみ教えについて為しとげたもろもろの独得の発見を、大いなる遺産として残されたのであります。 スポールディング氏は、金銭上の収入目当の著述や講演をしたことは決してありませんでしたが、といって寄贈を拒むこともなく、しかも財が入れば直ちにそれを散ずるのでありました。氏の博愛精神はどこまで行ったら限界があるのか、測り知れない程でした。何故なら、困ったあげく援助を求めて来る者に対して、氏がその持ち物全部を与えなかったためしはなかったからです。 ですから、結局、氏は常に豊かなる人でありました。事実、或る意味で、スポールディング氏ほどに富める人を私は未だ曾て知りません。氏の極めて稀な、しかも明らかに人生の初期において、独得の悟りの境地に達せられたことは、私達多くの者には羨ましくてなりませんでした。 シュタインメッツとエヂソン スポールディングさんが、イエスやその他の偉大な大師がたについて初めて幾つかの発見をしたのは、六十五年程前のことです。氏が非常に尊敬していたシュタインメッツ氏(2)もそうでしたが、氏もまた偉大な大師がたと一緒に、現実にこの世界で語ったり歩いたりしたのでした。わたしはスポールディング氏とシュタインメッツ氏が一緒に写っている写真を見たことがあります。 シュタインメッツとエヂソンは、イエスの山上の垂訓を、その時、その声、その言葉のままで、録音できる時代が来ると予言したものです。スポールディングさんは、世界のあらゆる場所で長い間奉仕活動をしながら、他にも申し上げたいような驚くべき発見や啓蒙をされたことでした。例えば、氏の書物が出版されるようになるまでの経緯(いきさつ)に話を戻してみたいと思います。 著書公刊までのいきさつ 私は一九〇〇年代の始め頃、インドのカルカッタでスポールディング氏を知っている人々から、氏がインドで体験した事柄中、幾つかのものを執筆することにしたとの噂を聞きました。氏の友人達はそれをタイプにして写しを頒けて欲しいと頼み、氏も亦、タイプにした原稿(これが本書の第一巻になった訳です)を長い間持っていました。 氏の友人達はそれを仲間内で読み廻していましたが、遂にカリフォルニア州オークランドにいる市営鉄道を敷設した某氏の非常に有名な夫人が、スポールディング氏にその著作を廉価な私製版として、サンフランシスコにある同夫人所有のカリフォルニア出版社で、数千部出版させてくれるように頼みに来られました。 夫人は自分の友人に皆この書を一冊ずつ寄贈したかったのでした。スポールディング氏はこれに同意して、その後間もなく英国に向けて出発されました。一方、書物は予定通り印刷されて、夫人の友人達に贈りものとして配られたのですが、その後六十日以内に驚くべし、二万口以上の注文が来たのです。 スポールディング氏が英国から帰ってみると、ご自分の見聞や体験に対する関心が高まっているのに驚いたのは無理もないことでした。そこで残りの著作の出版許可も夫人に与えましたが、これがのちに第二巻になった訳です。ところが、その後約十年間、氏は何ら著述をせずにいました。 しかし実はその間、殆ど毎晩のように他所に招かれるか知人を訪問するかして、夕食がすむといろいろな質疑がなされ、それに対して受け答えをして来たのであって、このような方法で氏は非常に多くの人々に会ったのでした。研究技師としての昼の仕事がすむと、夜催されるこういう小集会で出る多くの質問に答えてきました。 やがてこの事が口から口へと、極めて迅速に伝わり拡がって行きました。しかしこの種の集会もセシル・B・デミル(3)の映画『キング・オブ・キングズ』(4)の製作中は、一時中止になりました。というのは、氏がこの映画における聖書関係の仕事一切の技術顧問になったからです。スポールディング氏とわたしとのお近づきは、二十五年前に始まりました。 わたしは書籍と、書籍を世界中へ販売することに特別の関心を持っていたのですが、丁度その頃『ニュー・ソート』(新思想)(5)や霊的書物の読書や研究が非常に盛んになり、一方スポールディング氏にもう一冊書物を書き上げて欲しいと切望する人々も増えて来て、結局氏は或る親友から外部の邪魔を受けずに執筆のできる或る田舎の別荘に招聘されたので、現在の第三巻が手書きで書き上げられたわけであります。 国内の講演大旅行 ところが一方、ポールディング氏が死去されたという噂が国中に拡がり出したので、私は、氏が十月四日まではインドや世界一周旅行の予定がないのをこれ幸いに、わたしと一緒にニューヨークに行くことにして貰い、途中あちらこちらの大きな都市に寄って氏の著書の読者に会い、立ち始めている噂が嘘であることを証明するようにお勧めしましたら、「その旅行が三十日以内で終わるのであればよい思いつきだ」ということで、ご賛成を頂いた訳です。 そこで一九三五年八月下旬に、大きな都市のうち三十ヶ所を選んで、三十日で一巡することにしました。この事、つまり一見無理な日程の旅行を、わざわざ申し上げるには理由があるのであって、御存知のように、スポールディング氏は僅々数日前までは肉体的にも殆んど無限のエネルギーをお持ちであって、疲れることも決してなく、一日わずか三−四時間の睡眠で、二−三週間もやっていたからです。 著 述 の 特 徴 氏はご自分の利得のために要求や主張をすることは決してなさいませんでした。偉大な治療家とか療術者・予言者・霊能者その他、類似の称号も決してお求めになりませんでした。しかしここで特に申し上げたいことは、氏は丁度、皆さん方が一寸坐って誰かに手紙の一通でも書き上げる按配で、その著作全部を書き上げられたことです。 といっても、何も書く材料が自動書記(6)、霊聴(7)、霊視(8)その他、類似の方法で得られたのでは決してないのです。又、そんな方法の必要もありませんでした。何故なら氏は丁度シュタインメッツ氏やノーウッド氏(9)のような偉い科学者や宗教者に対してもそうであったように、著述の中の人物を直接に会って知っていたからです。 今申しましたノーウッド氏はニューヨークの有名な牧師で、スポールディング氏の最も親しい友人の一人でした。以上の事実は皆さん方にも興味がおありと思います。尤もポールディング氏ご自身は肉体は個人の真実の生命とは極めて僅かの関係しかないとお悟りなので、私どもが今日ここでやっていること〔追悼式(ついとう)〕には多分ご賛成ではないかもしれませんが。 皆様がたが思い出されるように、氏は『キリストはわれわれ一人一人の中に在します』と言っておられます。このことが氏として皆に悟って欲しかった重要なことであります。『合衆国にはどれ位の大師たちがいますか』と時々尋ねられると、氏は『この国には少なくとも一億五千万人(10)はいる筈です』とよく答えたものでした。 各人がいずれは自分が神とキリストと一体であることに気づき、単なる教条、独断(ドグマ)、教派、崇拝の如きはなくなる、というのが、氏のヴィジョンだったのであります。 真理を生きたその生涯 皆さんのお一人お一人がもし今、私の代りにここにお立ちになるならば、今の私の話とは違ったお話をなさることでしょう。スポールディング氏が一個人として、又、一同胞として、皆さん方にとってどういう存在であったかは、お一人お一人で違って参りましょう。いずれにせよ、生前の氏は、或は著作を通じ、或は話によって、皆様からのご質問に答えて参りましたが、その際少しも時間の制約を受けませんでした。 わたしは氏が、曽(かつ)て氏の或る友人にとっては躓きの石となった或る精神的な、或は又金銭上の問題について夜通し語り合って彼を救ったことを知っています。氏には大いなる直観力があるようでした。これが氏をして偉大なる科学者たらしめたのであります。 氏は又、ハイデルベルヒ(11)に留学し、それぞれ時期は異にするが、あらゆるすぐれた科学研究所で研究に従事したこともあり、特に地球物理学の研究に携わり、原子関係の仕事では初期の開拓者の一人でした。氏はまた人々に助言して、自らの力で起ち上がらせることに格別の関心を持っておられました。 今の人々にとって珍しくもあり、又最も理解しがたいのは、物質的な富を所有することが氏にとって殆んど関心の的ではなかったことです。それは氏が、イエスがなさったように、人間がここ地球上の物質界に当ってなす自己顕現の行為のうち最大のものは、一切の制約より心を解き放ち、キリストの生涯を生きることであると悟得しておられたからであります。 勿論本日わたしどもがここでしようとしているのも亦、そのことであります。それは、スポールディング氏が嘗ての日々の如くに今もわたしたちと共に在り、又わたしたちには、氏が生前実行し、又わたしたちに身を以て示そうとした行き方で、神の生命を生きる機会が今後もずっとあることを、わたしたちが自覚しているからであります。」 訳者註 (1) 所謂オーソドックス(伝統的)な宗教以外の宗教書・形而上書等の世界最大の販売兼出版社であるデヴォース会社の創立者、故人。 (2) カルル・アウグスト・ルドルフ・シュタインメッツ。ドイツ人、後アメリカに帰化して、チャールズ・プロミシュース・スタインメッツと改名。交流による送電、人工雷による制電等、電気の理論と応用の天才。一九二三年十月二十六日死去。 (3) 米国の映画監督『十戒』等、聖書に基づく史劇映画製作で有名。 (4) イエスの生涯の映画化。 (5) 心を一切の創造者とする『新思想』。インドのヴェーダにその源を発するが、その創始者は見えざる世界の大師によって霊導された。大乗仏教は日本におけるその代表的なものである。 (6) 霊が乗り移り腕を動かして霊の思想等を書かせること、但しそのような場合の霊は殆ど低級霊である。 (7) 霊的声を聞く能力。 (8) 霊的現象を視る能力。 (9) 本書第九章を参照。 (10) 当時のアメリカの人口。 (11) ドイツの古い大学都市。 〜はしがき〜 以下の各章は、スポールディング氏が最後の二カ年にわたって、南カリフォルニアで行った講義より収録したものである。 |
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